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迷える子羊の幸せへの道のり

迷える傷ついた子羊です( ´艸`)いろんな事があったけど、健康で長生きで仕事がある、そして住み慣れた日本で暮らせるのが幸せかなって思ってます。

バランス

こんなんで学校行けるんだろうか。精神不安定である。私をビンたして、私を出ていかせて、私の骨を殴るような、旦那に励まされているのだ。自分にプライドはないのかと問うてしまう。同じDVブログで同じ、もしくはさらにさらにひどい境遇に合われている方が、看護師とか手に職をつけている人はいいなと言っていた。そうまさに同じ状況なのだ。どんなきついことがあっても、再スタートが切れる職業。これは女性にとって大企業に入るより、大事なのかも。そして、同じ経験をした私は日本に戻ってきて、春から看護学生になるのだ。間違っていないのだ。だけどつらい。でも戻ったら地獄しか待っていないことはわかっている。状況が好転するのなら、もうとっくにしていた。相手も責められない。発達障害をいくらせめても、水の中でパンチするみたいなもんだ。でも自分も責められない。それは水の中で息をするみたいなもんだから。ストレスがたまりだすと首がゆれてくるので、愚痴だけ出したら寝よう。酒飲もうかな。明日は事務に入会してこよっと。それから、バイトの電話をして、面接までこぎつけて。長期のと、短期の戸、旅行の戸。それから、保険も入ろう。とりあえず、今を生きることがつらいから、気持ちがはっきりしている、老後は日本がいいのために行動していこう。学校も老後のため。不安になると首が揺れる。あのくそ整体師をさしころしたいーーーー。そんなこと絶対にしないけど、心で思う前にブログに書いて発散する。あいつのせいだとおもうけど、、、、でも忘れる。おやすみなさい。

もう

もう無理。疲れた。死にたい。もういや。なんも頑張りたくない。なんもしたくない。なんも思われたくない。そっとこのすべてから卒業させてほしい。疲れた。しにたい。もう無理。

くそみそな気分

生きることに疲れ果てた。友人に学校のことをはなすと、派遣などで不遇のめにあっていることもあるので、たいていの場合応援される、そこにやる気を見出そうとすると、くそ兄弟の友達はそういう、だけど現実どうするのか、何度学校に行くのか、数年前も同じことを言ったという地獄の底に引きずり込まれるような言葉が何度も何度もよみがえる。そうしたときに、首をくそ生体のインチキ野郎にひねられたグラグラが一気に戻ってくるのだ。

グラグラして、もうこれじゃあ無理だとさらに落ち込む。婚活で出会った変な人は看護師大変じゃないといわれ、興味本位でやりとりしていたら、そのネガティブな見方にすら引きずられそうになった。現にもう入学金を支払ったのだ。無効に変えれば、病気の統合失調症の配偶者がいるのだ、語学もままならないのにどうやって暮らしていくんだ?そしてこの年になるまで、結婚に合わせて間に合わせの職場にいた私に何の仕事があるというんだ?最悪結婚できなかったらどうやって死ぬまで食べていくんだ?そんな不安をわかってないくそ兄弟をめちゃめちゃに打ちのめしたいという暴力的な衝動が何度も起きる。そもそも首をこうした元凶である配偶者の暴力に怒りを覚える。適当に話をきく友人、私に生態をするめてきて、責任を逃れようとしているずるい女をせめてたたくなる。もう私は限界のふちにいて、そうそこから必死で戻ってきただけなんだ。だからそんな元気じゃなくてもいいんだよ。もう疲れたよ。何にもしたくないんだ本当は。みんなくそだ。

疲れ果てた

入学に当たり、連日この年になって、家族からの質問三昧。それだけやる気があるのか、覚悟をきめたのか、相当つらいが大丈夫なのか。私は繊細な人間だ。マイナス要素を聞かされると不安がさらに拡大して、どんどんできないような気がしてくる。

特にある兄弟の言葉、どれだけ学校に行ったの。それが、きつかった。殴りつけてやりたいくらいな気持ちになることもある。お前に何がわかると。

ずっと重たい気持ちがぬけず、人のせいにするなと言われても、ずっと残り続ける。何かを無性に壊してやりたい気持ちになったり、気持ちの整理がなかなかできないでいる。やりたい気持ちがほとんどないくらいだ。あんな兄弟いらない。私は傷つきすぎていて、マイナスなことしか言わない奴を受け入れる余裕がない。

どうして。。。

首がぐらぐらして、もうこんな風にぐらぐらが続いたら、看護師とか立ち仕事もやれないし、自分の人生は終わりだと思うと、悲しくて泣けてくる。今年はなんで次から次へとこんなことが続くのだろう。もう私には耐えられない。もう死んでしまいたいと本気で思う。古傷がなくなったら、今度は首とは。。。もう死んでしまいたい。

簡単に

不幸ってやつは簡単に手を放してくれないのだろうか。。。ずっと悩みだった古傷。友達の紹介で治療に行き、そこはよくなった。だが、インチキやろうか、調子に乗ってべらべらしゃべりながら、自信満々に私の首をごキットやったはずみで、一か月たつ今でも、首がぐらぐらする。さすがに、この先ずっとこのままだったら、以前は古傷で看護師とか立ち仕事無理とか思っていたが、今度は、このぐらつきがずっとつづくと、立ち仕事が無理である。一難去ってまた一難。どちらも、ストレス過ぎて、同じである。。。

人生ってやつは、、、、厄年だからでもなんでもいい、とにかく治ってほしい。。。

なんなんだろう

生きるって何なんだろうなあ。昔からこうして立ち止まる私は、立ち止まっては考えてきた。やがて、生きるをさみしくなく過ごすには家族が必要で、家族には家が必要で、仕事が必要で、それを維持できる、仕事と、意思疎通ができて暮らせる旦那が必要だと感じた。意思疎通って言葉のじゃなくて、なんていうか意志疎通なのだ。私は旦那と意思疎通はもちろんできていたが、もはや暮らしていくなんて無理だった。

仕事、、、この苦しさは働いている人にはわからないだろう。だって働いている人は働いている苦しみを味わっているから。どうにか一校でもいいので、看護学校受かるといいな。神様私に今年こそチャンスをください。

仕事があれば最悪一人でも生きていけます。神様学校の先生方、補欠じゃなくて合格をください。。。。結果は来週。